礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2007年10月21日
 
「臨在の信仰に生きる」
教団創立記念日に因み
 
竿代 照夫牧師
 
創世記39章1-5節,20-23節
 
 
[中心聖句]
 
  21   主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
(創世記39章21節)

 
聖書テキスト
 
 
1 ヨセフがエジプトへ連れて行かれたとき、パロの廷臣で侍従長のポティファルというひとりのエジプト人が、ヨセフをそこに連れて下って来たイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。2 主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。3 彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。4 それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。5 主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。
20 ヨセフの主人は彼を捕え、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄にいた。21 しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。22 それで監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。ヨセフはそこでなされるすべてのことを管理するようになった。23 監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。
 
はじめに
 
 
今日は、教団創立62周年記念日に当ります。創立といいましても、特に創立総会があったわけではなく、有志の祈りで始まったのが62年前の今日です。沢山教団が存在している中で、どのようにしてこの教団が誕生したのか、その特質や使命は何かを学び、その後、今私達が必要としていることは何かを、御言を通して学びたいと思います。
 
A.インマヌエルの歴史
 
 
これについては、小生が2年前に記しました「インマヌエルの60年」という本で、やや詳しく記しました。まだ、手にしておられない方は、ぜひともこの機会にお読みください。1300円で購買部で売られていますので、ご購入ください。今日は詳しく、教会の成り立ちについて説明することは致しませんが、おおよそのことを示す図表を描きましたのでご参照ください。図表に沿って簡潔に説明します。
 
1.誕生に至るまで
 
 

1)18世紀ウェスレーのメソジスト運動
イギリス国教会の牧師・ジョン・ウェスレーの心の中に始まった霊の刷新は、イギリス各地はもとより、世界各地、特に、新大陸アメリカで開花しました。

2)「ホーリネス派」の活躍
メソジストの流れを汲む人々の中で、聖化の恵を強調する人々がホーリネス派と呼ばれる諸教派を産み出しました。一番盛んであったのはアメリカにおいてです。日本にその運動を齎したのは、ホーリネス教会の創立者、中田重治師です。中田師の指導の下、ホーリネス教会は驚異的な進展を遂げますが、残念なことに、再臨に関する極端な主張の故に、1933年、分裂事件を起こします。これはホーリネス運動にとって大きな挫折でした。その挫折をへて、若手牧師たちの間にリバイバル・リーグという運動が起きるのですが、その中心人物が蔦田二雄師です。

3)蔦田二雄師の生涯とリバイバル・リーグ
蔦田二雄師は、シンガポールの歯科医の次男として生まれ、メソジスト教会で洗礼を受けました。大学に入るためイギリスに向かう船の中で知り合ったガントレット氏の影響で、個人的な救いを経験します。その後、ロンドンを訪問した日本人牧師の説教により伝道者となる召しを受け、直ちに献身すべきかアドバイスを求める手紙をシンガポールの父宛に出したところ、「オベイ・ゴッド」(神に従え)というたった二語の電報が返事として送られてきた話は有名です。日本に戻る前に「全き聖化」と言う本を読んで感動し、罪からの完全な釈放を求めて祈り、聖化の信仰に立ちます。この聖化の恵が、インマヌエルの原点です。1930年、日本に戻った蔦田は、ホーリネス教会に加入します。その頃、ホーリネス教会はリバイバル的な成長を遂げている最中でした。しかし間もなく、ホーリネス教会は分裂し、信徒も牧師も大きなダメージを受けました。そのころ、若手の牧師達が蔦田の下に集まり、論じ、学び、祈り、共に働くという交わりが始まりました。この学びの中心は、ジョン・ウェスレーが説いて実践した聖化の教えでした。そこにリバイバルが起き、リバイバル・リーグとして、力強い宣教運動が始まります。

4)東条内閣の弾圧と幽囚
そのリーグ運動が頓挫するのが、1942年、東条内閣によるキリスト教会への弾圧でした。教会は解散させられ、蔦田二雄師は、約2年間獄中の生活を体験します。しかし、ヨセフが獄中でエジプトの首相になるための訓練を受けたと同様に、蔦田にとって獄中生活は、神が共にいますことを確認し、新しい教会へのビジョンを与えられる、神の時でした。

5)「インマヌエル」(神共に在す)の信仰とビジョン
そこで思い巡らしたことは、インマヌエルがその主張として今でも継承している原点です。
@聖書主義: 日本の多くのキリスト教会が、軍国主義的な政府の圧力に妥協して、「日本的キリスト教」なるものを編み出したのに対して、聖書は神の言葉という信仰の原点を迫害の中で一層確信しました。
A聖化の教理と実践: ホーリネス教会では熱心に聖化が説かれるものの、実践が教えから離れていた弱さがありました。特に分裂事件でその弱さを露呈しました。彼の結論は、聖化の原点であるウェスレーの教えに戻ることでした。
B世界宣教: リバイバル・リーグでも世界宣教は強調され、実践されていましたが、より一層視野の広い海外宣教の実践が蔦田のビジョンとなりました。
C自給原則: 日本の教会の弱さは、欧米の宣教団体の援助に慣れてしまって、自分の足で立とうとしないところにあると蔦田は考えました。

これらを貫く理念が、あらゆる境遇の中でも神が共におられるという臨在信仰であり、「インマヌエル」は、教団誕生の前から蔦田師の心にあった事実でした。
 
2.創立から今日まで
 
 

1)創立
敗戦後、リバイバル・リーグの仲間との交流が始まり、船橋市を開戦の場所とするための準備が始まります。同時期に、やはりリーグの戦友であった双児の姉妹、長谷川元子伝道師、正子医師が広島で被爆しながらも奇跡的に守られていた事を知り、姉妹の疎開先であった岡山県野馳を訪れます。長谷川両姉妹も献身を新たにして将来に備えており、この新生インマヌエルに加わる意志を表明します。それが、1945年10月21日です。続いて1946年3月、船橋での徹夜の祈りからインマヌエル綜合伝道団の伝道部が誕生し、伝道団としての活動が始まりました。

2)果敢な伝道と教会開拓
同じ年、船橋教会が開拓され、拠点が定められました。3年後、蔦田師は拠点を丸の内に求めて開拓的な働きを始めました。それが丸の内(後の主都中央、そして中目黒)教会の始まりです。また丸の内で、教団事務所、翌年には神学院が営まれるようになりました。毎月第三の日曜日午後に定例の聖別会が開かれ、聖化のメッセージをキリスト教界に発信する基地となりました。日本各地で開拓伝道が行われ、現在は、121の教会が存在しています。

3)聖宣神学院と本部
1949年に開校した聖宣神学院は、1950年に北浦和に土地を得て働きが拡大されます。1967年には、横浜・藤が丘に移転し、今に至っています。本部事務所も、1985年、御茶ノ水に移転し、本部機能が強化されました。

4)他教派との交わりと協力
1958年に聖化に関する文書刊行のために「福音文書刊行会」(EPA)、1985年には聖化大会を運営するために「日本聖化交友会」(JHA)が誕生しましたが、インマヌエルはこれに全面協力しました。1968年には日本の福音派を糾合する「日本福音同盟」(JEA)が誕生しましたが、インマヌエルはこれに前面協力しています。

5)海外宣教
1960年の蔦田二雄師によるインド視察の翌年、三神学生が「宣教留学生」という立場でインドに留学し、ここからインマヌエルの海外宣教が始まりました。曲折がありましたが、今は、6カ国で15名の宣教師が働いています。

1969年 ジャマイカ
1970年 ケニア
1973年 パプア・ニューギニア(三期で終了)
1979年 フィリピン
1984年 ボリビア
1988年 台湾
1992年 香港(一期で終了)
2003年 ハイチ(短期で終了)
2007年 カンボジア(短期)
 
3.現在の課題と展望
 
 
1)停滞状況
教勢の増加が、1980年代後半で終わり、現状は停滞ないしは後退を余儀なくされています。献身者の減少、教会開拓の停滞が続いています。こんな現実を見ることは決して楽しいことではありません。しかし、この現実を直視し、かつての成長の要因をもう一度振り返りつつ現状の反省と吟味を行い、更に将来を見越して大きな展望を持つことは、非常に大切です。

2)合議的な監督制
1997年の総会から、教団運営の仕組みが徐々に変化していきました。総会の代議員と総理(今は代表)が公選されるようになったことです。監督制を堅持しつつも、人々の意見や提案が教団に良く反映される合議的な要素を今まで以上に盛り込む仕組みが作られ、2006年の総会でそれが組織改革という形で実りました。

3)青年の活性化に向けて
各地における青年のキャンプや修養会が徐々に盛り上がり、全国レベルでの中高生キャンプ、青年大会へと実りつつあります。今、青年活動専門の牧師や宣教師の候補も与えられ、将来が楽しみです。

4)教職・信徒の協力体制に向けて
少子高齢化は教会にも及んでいますが、高齢者の伝道参加の道を開くために、信徒伝道者養成講座が開設され、用いられています。その他の分野でも、教職・信徒の協力体制作りが図られています。これが教団の活性化に繋がることを確信しています。

まとめます。62年の歩みの中で、様々な問題や危機もありましたし、今でもあります。しかし、そうであればあるほど、主のご臨在と助けも豊かでありました。
 
B.臨在の信仰に歩んだヨセフ
 
 
さて、締めくくりに、神の臨在について、ヨセフの生涯から学ぶことにします。
 
1.臨在は(格別な)危機において表わされた
 
 
ヨセフという人物は、数え切れない危機を通り抜けた男でしたが、その危機的な局面々々にあって、神が共にいてくださり、祝福してくださいました。

・奴隷として売られたとき: 2,3節を読みましょう。「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。」ヨセフがエジプトに奴隷として売られて、ポテパルというエジプトの高級役人の家僕となったときのことです。奴隷という悲しい境遇の時にも、神はヨセフと共におられました。

・冤罪で牢獄に入れられたとき: ポテパルの妻の誘惑を退けたものの、彼女の逆恨みを受け、痴漢という汚名を着て牢獄に入れられました。しかし、「21主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。・・・23 監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。」のです。
 
2. 臨在は、他の人も認めた
 
 
神の臨在は、ヨセフが主観的にそう思っていただけではなく、周りの人々にも認められるほど顕著な事実でした。

・牢屋の番人も: 「23 監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。」何という信用でしょうか。クリスチャンが、その職場において、学校において、近隣社会において、「あの人は、普通の人とは違う。信用ができる。」という評判を立てたら、どんなに素晴らしいことでしょうか。ノン・クリスチャンは、それを直ちに「神が共におられるからだ」と気付くことはないかも知れませんが、そのような印象を与えたならば、伝道は半分進んだことになります。
 
3. 臨在は、その仕事の祝福となって現れた
 
 
・人々の信用を得た: これは、前項で述べましたので省略します。

・することなすことが成功した: 「23主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。」という御言は大変意味深いものです。ポテパルの家での経験です。「成功」とはヘブル語のツァラク(良い意味で前進する)から来ています。彼の触れるプロジェクトが一つ一つ前進するのです。英語に Green thumb(緑の親指)と言う言葉があります。その人が触れる植物が皆活き活きするのです。いわば魔法の手です。ヨセフのなす事は皆前進する、こういった評判が立ちました。素晴らしいことですね。畑仕事であれ、ビジネスであれ、家事であれ、ヨセフがやれば間違いない、全てうまく行くと誰もが認めたのです。「5主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。」

皆さんを雇う会社は幸いです。一人の真実なクリスチャンを雇うことで、神の臨在も一緒に抱えるからなのです。もちろん、クリスチャンがいる会社は絶対倒産しないとか、必ず業績が上がるというご利益的な短絡はしないで下さい。どのような形であるか、私達人間が規定することはできませんが、真実に祈るクリスチャンが一人会社にいるかいないかは、会社にとって大きな違いを齎します。まして、そのクリスチャンの集まりである教会では、神との歩みを真実に行っている信徒の影響は大きいものです。
 
4.臨在の信仰は、危機において確かなものと捉えられた
 
 
ヨセフは、この臨在信仰を何時、どのように捉えたのでしょうか。

・神は(遍在のお方であり)どこにでもおられるが・・・: 上の質問に答える前に、「神の臨在」一般について考えましょう。詩篇139篇を読みますと、一般的な意味で、神はどこにも、いつでも、誰とでも存在なさるお方であることが分かります。私達は誰一人その御前から逃れうるものはいないと記されているからです。その意味では、善人であれ、悪人であれ、信仰者であれ、不信仰者であれ、誰にでも神は共におられます。勿論、ヨセフが捉えたのは、一般的な意味で、神はどこにでもおられるという真理ではありません。

・(特別に)謙り、神により頼むものに現される: ヨセフが捉えたのは、他の誰とも違って、神が特別に彼に目をかけ、助け、慰め、祝してくださっているという臨在信仰です。それはどうして捉えられたのでしょうか。創世記に直接の言及はありませんが、恐らく、苦しみという轆轤を通してであったと思われます。苦しみのとき、神に叫び、神の前に謙り、神により頼んだ。それに答えて、主は一緒にいるよと保証して下さった、というものであったと思われます。それを示唆するのが、創世記 42:21です。「彼ら(兄弟達)は互いに言った。『ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。あれがわれわれにあわれみを請うたとき、彼の心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでわれわれはこんな苦しみに会っているのだ。』」

少年時代のヨセフは、父親に依怙贔屓されて、きれいな着物を着、特別扱いを受け、それに甘んじて得意がっているお坊っちゃんのような感じで、私はあまり好きではありません。でも、ある日突然兄達に虐められ、その冷たい酷い仕打ちに本当に傷つけられ、徹底的に苦しみました。その悲劇の体験がかれの個人宗教の原点と思われます。

イザヤ書 57:15を見ましょう。「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。『わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。』」反対に、順風満帆で、俺は何でもやれると自信満々な人間に、神の臨在は捉えにくいのです。私達にも、大なり小なり、心の苦しみを感じることがあります。その時、ヨセフのように、真に謙り、砕かれ、神により頼むことを学びたいものです。ヨセフは、それ以来、神をいつでも意識するようになりました。人が見ていてもいなくても、見ておられる神を意識しつつ、変わらない真実さをもって励みました。うそ、ごまかし、怠惰、それらは彼に入ってくる余地がありませんでした。

蔦田二雄師も、牢獄でそれを学びました。それがインマヌエルの原点です。
 
終わりに: 私達が「インマヌエル」であると言う意味
 
 
・(インマヌエルという)名前が、実質(神の臨在)自動的にと結びつくわけではない: 当たり前のことですが、「インマヌエル」という教会に属しているから、自動的に神が共におられるわけではありません。まして、神は私達の群れだけに共におられ、他の群れにはないなどと傲慢な気持ちを持ってもいけません。私達が偉いから神が共におられるのでもありません。

・神のご臨在を切に求めよう: 先に学びましたように、私達が真に謙り、真により頼むときにのみ、「インマヌエル」(神が私達と共におられる)の事実を捉えうるのです。創立記念日の朝、私達一人々々がこの臨在信仰を深く捉えましょう。
 
お祈りを致します。