メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
 
2009年4月5日
 
「バラバ親分の十字架」
桜まつりコンサート・メッセージ
 
竿代 照夫牧師
 
マルコ福音書15章7−15節
 

 
聖書テキスト
 
 
7 たまたま、バラバという者がいて、暴動のとき人殺しをした暴徒たちといっしょに牢にはいっていた。 8 それで、群衆は進んで行って、いつものようにしてもらうことを、ピラトに要求し始めた。 9 そこでピラトは、彼らに答えて、「このユダヤ人の王を釈放してくれというのか。」と言った。 10 ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである。
11 しかし、祭司長たちは群衆を扇動して、むしろバラバを釈放してもらいたいと言わせた。 12 そこで、ピラトはもう一度答えて、「ではいったい、あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよというのか。」と言った。 13 すると彼らはまたも「十字架につけろ。」と叫んだ。 14 だが、ピラトは彼らに、「あの人がどんな悪いことをしたというのか。」と言った。しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ。」と叫んだ。 15 それで、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した。
 
1.受難週の始まり
 
 
今日は、2千年前、キリストが十字架に付けられたことを記念する受難週と呼ばれる特別な一週間の始まりの日です。ですから、キリストの十字架を巡っての物語を短く致します。
 
2.バラバという人物
 
 
このキリストの十字架は、エルサレム郊外のカルバリという丘に三本立てられたその真ん中なのですが、じつは、その十字架は、キリストと呼ばれるイエスのためのものではなくて、バラバと呼ばれる強盗のためだったのです。

バラバというと、もしかしたら何人かの方がご存知かもしれません。もろ肌脱いで桜吹雪の彫り物をパッと背中に見せる、あの一グループがミッションバラバと呼ばれる、元暴力団で現牧師の人々です。ホームページを開けるとこんなテーマソングが出てきました(※こちらをクリックして下さい)。ここに出てくる、「すんでのところで処刑のはずが『イエス様が身代わりに』なってくれた盗賊バラバ」のことです。
※:http://www.netpal.co.jp/barabbas/index02.htm
 
3.元祖テロリスト
 
 
このミッションバラバの大親分である元祖バラバとは、どんな人だったか。聖書はこう記しています。「暴動のとき人殺しをした暴徒たち」の頭であると。ルカは、「都に起こった暴動と人殺しのかどで捕らえられた囚人」とあります。こっそりものを掠めるようなけちな泥棒ではなく、政治的な目的を持って人々を襲い、強盗を働くかと思えば、そのお金をイスラエル独立運動の資金にする、というような、いわば義賊です。今の言葉で言えば、ユダヤ原理主義のテロリストです。当然のことながら、イスラエルを治めていたローマ政府からはお尋ね者とされており、こちらにもあちらにも似顔絵が貼られているという物騒な有様でした。十字架につけられるほどの重罪犯であったことはたしかです。
 
4.逮捕と処刑
 
 
この男ある日、とうとう仲間とともにお縄を頂戴する羽目となりました。暫らくの裁判を経て親分と仲間二人は十字架刑に決められました。三本の十字架の真ん中にはバラバ、その一味は、その右と左に着くことになっていました。

十字架刑というのは、ローマ人が考え出した恐るべき死刑の道具で、生きた人間を十字状に組み合わせた木材に足を乗せる突起を加えたに釘で貼り付けにし、それをそのまま垂直に立てて、二日でも三日でもほっておくという残酷なものです。犯罪人は、痛みと出血と渇きで悶え死ぬのです。ローマ人は十字架をその市民には決して適用しませんで、奴隷の中でも重罪犯人だけをこの十字架刑にかけるわけです。
 
5.思いがけない釈放
 
 
処刑の朝、バラバは、かねて覚悟は出来ていたものの、これでシャバとおさらばという何とも言えない感慨をもって目覚めました。三本の十字架が用意され、その一本を担ぐという段取りになった時、驚くべきことが起きました。牢屋の番人がいきなり牢屋の鍵を開け、「おめえ、急いで出ろ。総督様のお呼びだ!」と叫んだのです。狐につままれたと言うのはこのことでしょうか。バラバは、キョトンとして牢屋を出ました。テロリスト仲間がそっと近づいてきて、こういいました。「親分、よく出られました。実は、かくかくしかじかの事が起きたんですよ。」
 
6.イエスという男
 
 
「かくかくしかじか」とは、こんな話しでした。ローマ帝国を代表するユダヤ総督ピラトという男が、ガリラヤ出身のイエスと言う男の裁判を頼まれました。ユダヤ人の宗教指導者の妬みが本当の原因なのですが、騒擾罪と反逆罪という重罪を押し付けられたのです。ピラト総督は、このイエスという男が無罪だという事は一目で分かりましたので釈放しようとしましたが、宗教指導者たちがピラトを脅しにかかり、弱みを持っていたピラトはそれを断りきれません。その時ピラトは天才的な思い付きをします。過越というユダヤ人の年一度の大切なお祭りに合わせて、囚人を一人特赦する慣わしに沿って、イエスを釈放しようとしたのです。それ自体もう罠だったのですが。ともかく、ピラトはイエスを赦すために、こいつは一番赦されにくいと思われる囚人としてバラバを選びました。ピラトは、鞭打たれ、傷ついた、しかし、全く罪のない顔をしたイエスと、牢屋から出てきて髪のボウボウとしたピラトを並べました。さあ、ここに二人居る、特赦にどちらを選ぶか、イエスかバラバか?予想に反して、人々はバラバと答えました。宗教指導者が扇動しているのが目に見えましたが、どうにもなりません。もう一度聞きます。イエスかバラバか?民衆の声は更に大きく、一斉にバラバを赦せ、となりました。このイエスはどうするか?十字架に付けろ!ピラトは良心の判断を放棄して、民衆の圧力に屈しました。
 
7.イエスの十字架
 
 
バラバの縄は解かれ、釈放されました。代わりにイエスという男が、十字架を担いで歩き始めました。他の二本は、予定通りのバラバの弟分の二人がかつぎ始めました。バラバは夢見る思いで、その三人に着いて行きました。イエスという男は鞭打たれたためか、途中でへたばってしまいました。そんなこんなしているうちに、処刑の場所であるエルサレム郊外の小高い丘に着きました。

そこで三本の十字架が立てられ、弟分が右と左に、自分がつくはずの十字架にイエスという男がつけられました。あっと思う間の出来事です。十字架の周りでは、宗教指導者が先に立って「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」というや否や、群衆も、兵士たちも「お前は神の子か。ユダヤ人の王なら、自分を救え。」と言う大合唱がこだましました。

バラバは、そんな群衆をみて、「待てよ、本当にこのイエスという男は、誇大妄想のきちがい男なのか、それとも、本当に彼が主張するように神の子なんだろうか」と考え始めました。特に、彼が一番びっくりしたのは、このイエスが、自分を十字架につける人々を罵ることなく、「お父様、彼らを赦してやってください。彼らは自分のしていることが分からないのですから。」と祈ったことです。こんな状況で、他人の赦しのために祈るとは、何という男か、と思ったのです。
 
8.十字架の前のバラバ
 
 
そのうちに、弟分の一人がこんなことを言い始めたのです。「おい、イエス様とやら。あんたが神の子なら、十字架から降りてみたらどうかね。ついでに俺たちも救ってくれ。」バラバがびっくりしたことには、その反対側の弟分がこういったのです。「となりの兄弟。少しは言葉を慎め。このイエスと言う人は、俺達とは種類の違うお方なんだ。俺たちゃ、さんざ悪いことを重ねてきたから、十字架が丁度お似合いだ。でもな、このイエス様はそうじゃねえ。何にも悪いことはしちゃいないお方さ。今朝から俺はずっとこの方を見てたら、この人は、皆が言っているように、本当に神の子としか思えねえんだ。」彼は苦しい中で、顔を主イエスに向けました。「イエス様とやら。おねげえがあります。あなた様が天のみ国へお帰りになるとき、あなたさまの記憶の端っこで結構ですから、あっしのことも覚えていてくだせえ。」
 
9.身代わりだった十字架
 
 
弟分の言葉で、バラバはハッとしました。「この人は、俺の身代わりで十字架に掛っただけじゃねえ、みんなの罪の身代わりだったのだ」その後のバラバの生涯を聖書は語っていません。でも、自分の身代わりになって死んだイエス様、みんなの罪を背負って死んでくださった方のために生きようと心を定めたに違いありません。
 
10.私達とバラバ
 
 
終戦間もない頃、本当にあった話を村上先生がこう語っておられます。「ある少年が親に自転車をねだりました。親は、貯金箱にお金が貯まったら、足らない分も足して買ってあげよう、と約束しました。彼は小遣いを貯め始めましたが、そこは子供の事、欲しいものを買うのにそれをちびちび使ってしまい、とうとう空っぽになりました。親がそろそろと思って子供に話しかけたところ、貯金箱はすっかり空っぽです。困った彼は「大変だ、空っぽになっている。そういえば、さっき遊びに来た00君が慌てて帰っていったけど・・・」親は息子の言葉を信じ、同情して自転車を買ってやりました。

しばらくして、その00君が病気で亡くなりました。子供は後悔しましたが、もう謝ることができません。罪滅ぼしのために神社の境内を毎朝掃き清めることにしました。二年間続いた後で、神主さんに尋ねました。これで僕の罪は消えたでしょうか。神主さんは、「あんたのしたことは感心じゃが、それで過去の罪が消えたかどうかは私には何とも言えん。」がっかりした彼は、お寺の住職さんのところに行きましたが同じ答えしか返ってきません。

そんな彼が、クリスチャンの友達に無理やり教会に連れて行かれました。そこで彼は、「キリストは、私達の罪の身代わりとなって十字架にかかって死んでくださった。私達はそのことを信じるだけで罪が赦され、救われる。」という話を聞きました。これだ、と思った彼はその晩、罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主として信じ、受け入れました。やっと、彼の心に安らぎが訪れました。
 
11.おわりに
 
 
バラバのためにも、少年のためにも身代わりになったキリストは、あなたの罪の身代わりもしてくださいました。このキリストを救い主として感謝とともに受け入れましょう。
 
お祈りを致します。